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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)6404号 判決 1967年6月07日

原告

山本一己

原告

山本実

原告兼原告山本実法定代理人親権者母

山本ミヨ

原告ら三名訴訟代理人

西村義太郎

被告

イサミ交通株式会社

右代表者

弓納持久

右訴訟代理人

戸田謙

菅原光夫

北野昭式

被告

右代表者法務大臣

田中伊三次

右指定代理人法務省法務局付検事

荒井真治

(外五名)

主文

被告国は原告らに対し、各金二〇万円宛の支払いをせよ。

被告会社に対する請求および被告国に対するその余の請求は、いずれも棄却する。

訴訟費用中、原告らと被告会社との間に生じた分は全部原告らの負担とし、原告らと被告国との間に生じた分は、これを二分して、各その一を負担せしめる。

本判決第一項は確定前に執行できる。

被告国は、金六〇万円の担保を供して、右仮執行を免れることができる。

事実

第一  請求の趣旨とこれに対する答弁

A  請求の趣旨

「被告らは連帯して、原告らに対し、それぞれ金二六五万四五四五円の支払をせよ。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求める。

B  被告会社の答弁

「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求める。

C  被告国の答弁

「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求める。もし、原告ら勝訴の判決に仮執行宣言が附せられる場合には、その免脱の宣言を求める。

第二  請求の原因とこれに対する答弁

A  請求の原因

一(交通事故)昭和三七年一一月一二日正午頃、東京都世田谷区玉川奥沢町三丁目二九二番地先(九品仏駅前交番の前)の交差点において、故山本忠一(以下単に忠一という。)が南方東寄の角から北へ渡ろうとして横断中、東西に走る道路の中央を西方から東方に向つて走行して来た訴外古川一五郎運転の自動車(品五あ〇〇一〇)(以下加害車という。)が右交差点において、車体前部を忠一に激突せしめた。

二(傷害)そのため忠一はボンネツト上に撥ね上げられてフロントガラスで後頭部を強打して打撲傷を受け、直ちに玉川等々力所在共愛病院に運ばれたが、脳震盪の所見があつて、後頭部に内出血している可能性があり、後遺症のおそれもあつた。

三(診療事故)そこで、同病院に五日間入院後、精密検査のため目黒区大原町所在国立東京第二病院(以下単に第二病院という。)に転じ、同病院では医師小坂太郎同成田洋夫が主として診療に当つた。同年一二月一〇日成田医師は忠一の頸動脈に穿刺し薬液を注射し、更にその後同月一四日第二回の同様の注射を右頸動脈に対して行つた。この二回目の注射の結果、忠一は失神し、一昼夜を経て辛うじて意識を同復するに至つた。これらの施術を受けて、自己の身体に異常の硬直状態を来した忠一は施術の結果に不安を感じて退院を希望し、同月三一日玉川等々力の当時の自宅に帰つた。

四(死亡)然るに、その後忠一の健康は漸次悪化し、諸関節が次第に硬直して、翌々昭和三九年三月一二日午後八時四八分死亡するに至つた。

五(被告会社の責任)被告会社は前記交通事故における加害自動車を所有し、自己のために運行の用に供していたものであるから、これによつて生じた損害を賠償する責任があるところ、前記傷害が右交通事故に基づくものであることは明らかであり、また後記のとおり、前記死亡は右交通事故による傷害を間接原因とするのであるから、被告会社は結局被害者の死亡に基づく損害を賠償する責任がある。

六(被告国の責任)前記成田医師には治療上の過失があつた。すなわち、前記薬液注射はレントゲン撮影をするための造影剤の頸動脈注入であつて、危険率の高いものであるが、加療上、必要な方法というわけでもないのに同医師は、忠一およびその家族(妻たる原告ミヨ)に対し右の危険を単に暗示しただけで、率直に説明せず、十分な納得も得られないのに診断に藉口してこれを敢行したのみならず、その施術に際しても熟練を欠き、技術上の過誤を冒した。忠一の容態の急変はこれを語るものである。後日の忠一の死亡は、前記交通事故による傷害がその間接原因となり、右診療事故がその直接原因となつたものであるから、成田医師はその過失により忠一の死亡を来らしめたものとして民法第七〇九条の責任あるところ、同人は国立病院の医師であるから、被告国はこれにつき民法第七一五条の責任を負うべきものである。そして、前記被告会社の死亡に関する責任と右被告国との責任は民法第七一九条の共同不法行為責任の関係にある。

七(扶養請求権喪失分賠償額)原告一己、同実は忠一の子であり、原告ミヨはその妻であつて、いずれも忠一と共同生活を営み、忠一によつて扶養され来つたものであるところ、その死亡により扶養者を失うに至つた。忠一はもと協陽産業株式会社の社長であつたが、本件交通事故により受傷した当時は友人の経営にかかる国際電子工業株式会社の顧問として毎月約七万円の報酬を得ていたものである。死亡当時は六三歳であつたので、本件事故がなかつたとすれば、なお一三年間は生存したであろうと考えられ、然りとすれば死亡によつて喪失した忠一の将来収入は金一〇九二万円であり、これをホフマン式計算により死亡時の価額に引き直して金六六一万八一八一円である。忠一が家族らを扶養しうるのは、自身の生活費を差引いた残額であるので、忠一自身の生活費を月収の四分の一と見ると、原告ら三人が扶養請求権を失つた金額のホフマン式による現在額は、右金員各四分の一にあたる金一六五万四五四五円になる。

八(慰藉料額)また、忠一は前記のように中小企業とはいえ一社の社長であり、原告らはその家族として中流以上の生活を送つていたのに、被害者の死亡により生活の経済的基盤が失われ、住居にも事欠くに至つたし、原告一己と同実にとつては、未成年のうちに父を失うことにもなつた。これらの事情に鑑みるときは、その慰藉料は各一〇〇万円が相当である。

九(結論)よつて被告らが連帯して原告らに対し、それぞれ金二六五万四五四五円の支払をなすことを求める。

B  被告会社の答弁

右Aの一は認める。同二は忠一が打撲傷を受けたことは認めるがその余は不知。同三、四は認める。同五のうち、被告会社が加害車を所有することは認めるが、その余は否認する。同七は不知。同八は争う。

C  被告国の答弁

右Aの一、二は不知。同三のうち精密検査のため第二病院に入院したこと、担当医が小坂太郎および成田洋夫であつたこと、二回にわたり注射を受けたことは認める。その余は否認する。退院の日は同月二二日である。同四のうち、死亡の日時は認めるが、その余は不知。同六は否認する。同七のうち、親族関係は認めるがその余は不知。同八は争う。

第三  被告会社の主張とこれに対する認否

A  被告会社

一(免責事由)

本件交通事故はもつぱら忠一の過失に基づくものである。すなわち、忠一は本件事故の三年前にも交通事故のため頭部打撲の傷害を負つて入院し、退院後も後遺症があつて本件事故の当日も病院に治療にゆくところだつたのであるが、右事故により右眼の視力が減退していたので附添を要するのに一人で通院していたものであつて、そのため加害車を認めることができず、横断に際して歩行者としての通常の義務である左右安全の確認を怠つて漫然と加害車の直前を横断しようとしたのである。附添なしで歩行したこと、あるいは視力のない状態であることを外部に表示しなかつたことにおいて忠一には過失があり、他方加害車の運転者である訴外古川は交差点での徐行運転義務を守つていたのであるから、何の過失もなく、本件交通事故はもつぱら忠一の過失により起つたものである。従つて、被告会社には原告主張のような責任はない。

二(因果関係)

右交通事故における忠一の傷害は、右古川が抱き起そうとするのを拒絶して自ら起き上れた程度のもので、共愛病院入院中の五日間とその後の通院治療とで殆ど全治していた。その後第二病院に入院中、診療事故が起つたのであつて、死亡は交通事故より一年四カ月後にあたり、その原因は右診療事故および、その後自家療養中の治療の不適切にあり、本件交通事故と死亡との間には因果関係はない。

三(示談の成立)

昭和三九年一月七日すなわち本件交通事故から一年二カ月後、忠一死亡の二カ月前に、忠一の代理人である原告ミヨと被告会社および訴外古川の代理人である訴外横山金造との間に、「治療費一切および休業補償費を合算して昭和三九年一月一四日までに被告会社から金一〇万円を支払うことにより被告会社および古川に対する損害賠償請求権は一切放棄する」旨の示談が成立し、被告会社はその頃右金員の支払を了した。右私法上の和解により原告らの被告会社に対する請求権は消滅した。

B  原告ら

(右Aの三につき)

右示談の成立は認めるが、これは、忠一と被告会社との間になされたものである。原告らは忠一の賠償請求権の相続を主張するものではないから、右示談の効力を受けることはない。

第四  被告国の主張とこれに対する認否

A  被告国

一(医師の無過失)

(一)  忠一は昭和三四年頃自動車に衝突して頭部外傷を負い、昭和三六年頃からは動脈硬化を生じ、左眼失明して入院し右眼視力〇・二となる等の経過があつたあとで、本件交通事故に遭い、共愛病院ですすめられて精密検査のため第二病院に来たものであるが、昭和三七年一一月二二日の精神科医長小坂医師の初診ならびに同月二六日の同医師の診察および脳波検査の結果、精密検査の必要ありとして同月二八日入院したのである。

(二)  入院後は同医師および成田医師の診察を受けたが、その結果、両医師は、忠一の大脳に脳血管障害あるいは脳腫瘍が存する疑いを持ち、更に明確な診断をなすために頸動脈撮影をなすのが必要であると認めた。

(三)  血管撮影とは血管中に造影剤を注入してレントゲン撮影を行うもので頸動脈およびそれ以外の血管にも広く行われ、造影剤としては一般に水溶性ヨード化合物六〇%のウログラフインが使用される。この濃度であれば副作用は殆どなく、ただ頭痛、四肢痙攣、悪感等の起る可能性があるだけと考えられており、両医師もそのような認識をもつていた。

(四)  そこで成田医師は同人の妻である原告ミヨに対し、全く危険の伴わないものではないことを説明した上、その承諾を得、

(五)  一二月一〇日あらかじめ過敏性テスト施行の上、左側頸動脈につき血管撮影を行つたところ、左ウイリス環の閉塞により左前大脳動脈が造影されていないことが分つた。副作用としては頭痛があつただけであつた。

(六)  第一回撮影の結果からは病像の説明はつかず、反対側からもう一度撮影する必要があると認められたので、成田医師は、同月一四日右頸動脈につき血管撮影を行つたのであるが、まず鎮静剤を投与し、また過敏性のテストを行つた後、二時一〇分頃星状神経節遮断、同二〇分頃注射針を右動脈に刺入、造影剤であるウログラフイン一〇ccを注入して先ず前後像を、更にウログラフイン一〇ccを注入して側面像を、それぞれ撮影した。然るにこの写真を直ちに現像したところ、水写真において前後像が造影不十分であつたので、再度撮影を行う準備をしたところ、同四〇分頃忠一は意識を喪失し、顔面蒼白、共同偏視、脈博微小、となつたので撮影準備を中止し、同五〇分頃強心剤の注射を行つた結果三時二〇分頃名前を呼べば応答可能なまでに意識が回復した。

(七)  このとき左顔面半分、左手等左半身に麻痺が認められたが、翌日午前の診察時には既に意識障害はなく、左半身麻痺も次第に軽快して、一九日には歩行可能となり、硬直状態は消滅していた。二二日には、入院時の症状と左半身の軽度の不全麻痺、左手指の麻痺を残したまま退院したものである。

(八)  症状上、診断の手段として右のように、頸動脈撮影が必要だつたのであり、危険性、副作用も少なく、広く一般に行われている方法である上、自身多くの経験もあり、施術上の諸注意も尽したのであるから、成田医師の本件施術には何らの過失もない。

二(因果関係)

忠一の死亡は本件施術後一年三カ月も後であり、その死因は第二病院入院当初から考えられていた脳軟化症あるいは脳腫瘍によるものと思われ、本件施術およびそれによつて残つた軽度の左半身麻痺、左手指の麻痺等は右死亡の原因ではありえない。

B  原告ら

右Aの一の(一)のうち、両眼視力の異常に陥つたことおよび第二病院受診、入院の事実は認めるが、昭和三四年の事故で外傷を負つた点は否認。その余は不知。同(二)は不知。同(三)のうち副作用の点は否認する。その余は不知。同(四)の承諾は認めるが、危険はあるが他に方法がない旨説かれて、やむをえず応じたものである。同(五)(六)は不知。同(七)は認める。同(八)は争う。

Aの二は否認する。第二病院入院当時そのように疑える症状があつたのならば、忠一ないし家族にその旨を全然告知しなかつたことにおいて、医療上懈怠の責がある。

第五  証拠関係<省略>

理由

一交通事故について

請求原因(事実摘示第二のAの一)主張のような交通事故が発生したことおよび加害車が被告会社の所有であることは、原告らと被告会社との間では争いなく、被告国との間では成立に争いない甲第一二号証によつてこれを認める。被告会社は加害車の所有者として――反対事実の証明されない限り――これを自己のために運行の用に供するものというべきであるから、損害賠償責任を免れるためには自賠法三条の免責事由を主張立証すべきところ、右交通事故は忠一の過失に基づくもので、加害車運転者古川には過失はなかつたと主張する。そこで、証拠を按ずるに、成立に争いない丙第六号証およびこれに関する小坂証人の供述によつて、当時忠一の右眼視力は〇・二であり、左眼に至つては「三〇センチ指数」すなわち眼前三〇センチで指数を判別しうる程度に過ぎなかつたことが認められる。しかし、原告山本ミヨ本人の供述によれば、本件交通事故以前の忠一は必ずしも常時附添人を必要とするような状態ではなかつたことが明らかであるから、単独で歩行し、横断しようとしたこと自体を以て過失とするわけにはゆかない。もつともこのような左眼視力の異常が交差点横断中の忠一が左方から進行して来た加害車に対して適時に対処しえなかつた一原因となつたことは十分推測しえられることであつて、この点で忠一にも過失なしとしないが、その故に事故発生がすべてこれに起因するとは到底認めることができない。かえつて、成立に争いない甲第一二号証および毛利証人の供述によつて、加害車の運転者古川一五郎が交通整理の行われていない交差点であるのに徐行せずに四〇キロメートルの速度のまま進行したことおよび前方を注視し横断者を確認する義務を怠つたことが事故発生の主たる原因であつたと認めるのが相当である。従つて、被告会社は――前記忠一の過失を損害額算定について斟酌することはともかく――右事故に基づく損害を賠償すべき責任がある。

二交通事故に基づく損害について

田中証人および原告ミヨ本人の供述を綜合すれば、右交通事故における忠一の負傷は、後頭部打撲傷および膝蓋部打撲擦過傷であつたと認められる。原告は、交通事故による傷害が死亡の間接原因となつたと主張するのであり、<証拠>によれば、忠一の死因は脳内出血であり、その脳内出血は本件の交通事故によつて生じたものと認められるというのであるが、後記認定に照らして採用できない。すなわち、田中証人の供述によると、事故当日の診察に際し、舌のもつれや多少病的な運動反射を認め、脳内出血を疑つて精密検査を必要と見たのであるが、<証拠>によつて認められるように、忠一は、その三年前にも車と衝突し、頭頂部に外傷を受けたことがあり(原告ミヨ本人は大した傷ではなかつたように供述するが、何らの後遺症もなかつたという趣旨では採用できない。)、年齢も六一才で、既に昭和三六年末には手のしびれ、歩行不確実等の病状を呈していたことも認められるのであるから、右田中医師の診察の際の所見がすべて本件交通事故によつて起つたものと認定するわけにはゆかず、かえつて、小坂証人・成田証人の供述によれば、死因を確定することはできないにせよ、脳内出血自体が死因である可能性は極めて少なく、むしろ本件交通事故以前から進行していた脳軟化症または脳腫瘍が進行して忠一の死亡をもたらした可能性こそ第一に考えられると認められるのである。

当事者間に争いない忠一の死亡の日時が交通事故後一年四カ月経ていることも考えねばならない。かかる事実関係の下においては、忠一の交通事故による傷害と死亡との間に相当因果関係を認めることはできない。

しかしながら、他方、被告会社主張のように、交通事故による傷害は、第二病院入院前に全治していたと認めるべき証拠はなく、むしろ、田中・小坂・成田三医師の証言から明らかなように、田中医師が交通事故の後に認めた変調を治療するための方策として第二病院における精密検査の受診を勧め、その結果第二病院に入院することになり、その病因を探索する過程において本件診療事故を惹起したのであつて、しかも、後記のように、診療事故により忠一は傷害を蒙つたと見るべきであるが、その結果が単に成田医師の施術のみを原因として生じたとは断定できないのであるから、結局交通事故と診療事故とが相並んで右傷害の原因となつたものと見るほかなく、被告会社には、この意味における忠一の傷害によつて生じた損害を賠償する義務があるといわなければならない。

三診療事故について

忠一が精密検査のため第二病院に入院し、小坂医師および成田医師が診療を担当し、忠一が二回にわたり注射を受けたことは原告らと被告国との間では争いがないが、右注射の性質、必要性および前段の経緯について原告らの主張と被告国との間に主張の相違があるので、これにつき証拠を検討する。小坂証人、成田証人の供述によれば、この注射とはいわゆる脳血管撮影のため頸動脈に造影剤を注入することで、これによつて撮影されるレントゲン写真によつて忠一の症状につき適確な診断を下そうとの意図に出でたものであつたことが認められる。原告は、かかる施術は不必要でもあり、危険でもあつたというのであるが、忠一の入院の目的が精密検査を求めるにあつたこと前示のとおりであるし、また<証拠>により、入院当時の診察によつて明らかとなつた忠一の既往歴および現在の症状特に、右腕の筋強剛、歯車現象、失語、失読、左右障害、時間見当識不良、手指障害、情動失禁等の諸症状からは、左側の脳に器質的な障害の存在すること、すなわち脳腫瘍ないし脳軟化症が想定され、更に髄液検査の結果もこれを裏付けたので、血管撮影によつて確かめようとしたものであることが認められるから、これを不必要な検査であつたと見ることはできない。また<証拠>によれば脳血管撮影は、二〇〇〇余例の実施に対し一過性麻痺が三例、一過性痙攣が一二例、嘔吐一例、死亡一例という程度の副作用発現率が学界誌に報告されており、成田医師自身も当時年間三〇余例を実施していた程で特に危険視される施術ではなかつたことが認められる。施術前、忠一の妻である原告ミヨの承諾を得るに際し(承諾自体は争いがない。)、どのような告知がなされたかは争いがあるが、成田証言によれば、事の性質上、全然危険なしとはいえないが大抵大丈夫であるとの趣旨であつたと認められ(原告ミヨ本人の供述もこれに反する趣旨ではないと認められる。)、前認定に鑑み、特に危険度を秘匿して患者の家族を欺いたなどと見るべきものではないことはいうまでもない。

そこで脳血管撮影実施の状況を見るに、前掲各証拠によれば、一二月一〇日に行われた左側頸動脈の撮影は上首尾であつたこと(この種施術の術後往々見られる現象として、症状の軽快さえ見られたこと)、然るに、その結果のレントゲンの所見では前大脳動脈が写つていないことからウイリス環に閉塞があるのではないかと推測され、反対側からの撮影が必要とされるに至つたことが認められるのであつて、この意味で二回目の施術を不必要視することも相当でない。そこで、この二回目の施術の顛末であるが、小坂、成田両医師の証言に徴し、その要点は丙第一号証(診療録)中一二月一四日分の記載に尽きること明らかであるから、右記載中の独乙語を各証言を参照して邦文化すると、次のとおりである。

「血管撮影(右頸動脈)

午後一二時三〇分ラポナニ錠、同二時オピスタン二分の一管、同二時ウログラフイン右眼に試験滴下、同二時一〇分星状神経節遮断術施行

午後二時二〇分、針が一応頸動脈に入り血液噴出をみるが微弱、操作中に抜け血腫を作る、針を約二センチメートル上部に再びさし、頸動脈に適中し、血液の噴出良好、先ず、前後像撮影、次で側像面撮影を行い、水写真に於て前者は露出弱く像(造)影剤不充分のため両度前後像撮影を行う準備をしている際に質問に対して応答なく、意識喪失、顔面蒼白、共同偏視を認む、脈博約六〇、弱し

午後二時五〇分ビタミン一筒筋注、同三時ビタカンフル二筒静注、テラブチツク一筒筋注、同三時二〇分血圧一四〇―九〇、名前を呼べば応答可能の状態に回復したが、左顔面半分および腕麻痺的(以下略)」

問題は、右の頸動脈穿刺に一度失敗してやりなおしたことと、前後像撮影に失敗して再度撮影の準備にかかつたため、正常に行われた場合より時間が多くかかつたことであろう。前者の失敗による血腫については両医師とも心配ない旨確信するのであるが、丙第五号証の一に――脳栓塞の予防に関してではあるが――「動脈穿刺を一回で成功するよう手技に習熟すること」の必要が説かれていることからも、施術上の不手際があつたことは否定できないと考える。後者についても、結果論ではあるが、再撮影を又の機会にゆずつて打切つていれば意識喪失の段階に至らなかつたかも知れないとの想定を容れる余地があり、撮影の失敗自体不手際というを妨げない。この際施術者にどのような注意義務違反があつたかについては原告らは主張立証するところがないのであるが、当裁判所は、医学の如き高度の専門的分野における施術上の過失の有無が、その施術者を雇傭する者を被告として使用者責任の問われているような場面において、判断の対象となる場合には、施術上の不手際とその直後における症状の悪化とが原告により立証されれば、一応施術上の過失とそれに基づく傷害とを推認して差支えなく、当該施術に関する医学上の専門的知識と資料とを保有する被告側において、その不手際はむしろ医術の限界を示すものであることを明らかにするなどして過失の証明につき反証をあげるか、もしくはその不手際と症状の悪化との間には因果関係のないことを証明するかしない限り、被告の責任を肯定すべきであると考えるものであつて、本件において、施術後の症状の悪化が、右の認定および後段判示のように肯定しうる以上、その余の立証の負担は被告国に移つたと見るべきである。そして、<証拠>によつても、右の諸点について被告国に期待された立証が果されたとはいえないから、被告国(成田医師の施術が国に使用されている者の国の事業執行としてなされたことについては、当事者間に争いがない。)はこの診療事故に基づく損害を賠償すべき責任がある。

四診療事故に基づく損害について

右施術後の経過が、被告国の主張(事実指示第四のAの一の(七))のとおりであつたことは、原告らの被告国との間では争いがない。しかしながら「軽快」したとはいつても、なお相当の麻痺症状を残していたことは、田中証人および原告ミヨ本人の供述によつて、忠一が、交通事故の当日である昭和三七年一一月一二日共愛病院に診察を乞うた際の容態(この時田中医師が精密検査の必要を認めたほどの身体的徴候が存したことは先に示したとおりである。)と、同年一二月二四日(これは<証拠>による忠一の第二病院退院の日から二日後である。)同病院に再度受診に現れた時の容態とでは相当の差があり、前回には著るしくなかつた痙攣性の麻痺が二度目には生じていたと認められることからも明らかであり、忠一が結局死亡に至るまで第二病院入院前の状態には戻らなかつたことは原告ミヨ本人の供述によつて認められる。すなわち、診療事故後の症状の悪化は、これを認定するに十分である。

もつとも、本件診療事故は原告ら主張のように忠一の死亡と因果関係あるものとは認められない。けだし、先に判示したように、本件における忠一の死因は結局確定できないのであるが、可能性からいえば、交通事故以前からの脳腫瘍ないし脳軟化症の進行を第一にあげるべきものと認められるのであつて(ちなみに、この疑いを第二病院の医師達が忠一や家族に告知しなかつたことを原告らは懈怠と責めるが、疑いを懐いてそれを確定するための検査中本件診療事故が起つたものである以上、医師達に原告主張のような過失はない。)、治療事故を以て死因と認めさせるような証拠は見当らない。もとより、治療事故のため麻痺を生じ、それだけ健康を害した以上、間接に死期を早める結果となつたことは否定しえぬであろうが、法律上の相当因果関係としては、これを否定せざるを得ないのである。ただ、前記のような施術後の症状の悪化は、それ自体一の傷害と評価すべきであるから、被告国は、忠一の傷害に基づく損害を賠償する義務があるというべく、しかも、右症状の悪化については、交通事故も診療事故もその一因をなしており――おそらく診療事故の方がより直接的であろうと推測はされるが――いずれが決定的な原因かは確定し難いのであるから、両者はいわゆる共同不法行為の関係にあり、被告会社の賠償債務と被告国のそれとにいわゆる不真正連帯の関係に立つものとはいわなければならない。

五原告ら主張の請求権について

そこで、原告らの主張する請求権を見るに、まず、扶養請求権の喪失による損害賠償請求権は、忠一の死亡を原因として発生するものであるから、先に判示したところから、その理由がないこと明らかである。しかしながら慰藉料の方は、死亡を原因として発生した慰藉料請求権として主張せられていても、本件においてはなおこれにつき判断する余地があると考える。けだし、当裁判所は、死亡に基づく慰藉料請求権の相続はこれを否定する反面、傷害に基づく慰藉料請求権は相続の対象になりうると解するのではあるが、傷害を負うた者がこれに基づく慰藉料請求権を自ら行使しないまま死亡してしまつた場合には、強いて傷害に基づく請求権の相続として主張させずとも、遺族の取得すべき死亡に基づく固有の慰藉料請求権の算定に際し、右の不行使の事実を斟酌しうることとすれば、生前行使され受領された場合との均衡を計りうるとの見解を持するものであつて本件の如きは、正にこの生前行使されなかつた傷害に基づく慰藉料請求権につき相続の主張されていない場合にあたるのであり、本件原告らの訴旨もまた、この意味においては、忠一の死亡に基づく慰藉料請求権の発生の主張と、傷害に基づく分が本人に発生しながら不行使のまま本人が死亡したことが斟酌されるべきであるとの主張を兼ねながら、後者を明示しなかつたに過ぎない、と解して差し支えないのであるから、前者すなわち死亡に基づくものの発生を認容しえない場合にも、後者すなわち傷害に基づくものの右の意味における主張としては認容される可能性があるのである。

六慰藉料額について

そこで、この傷害に基づく慰藉料額について案ずるに、原告ミヨ本人の供述により認められる諸事実、すなわち、第二回施術の直後は家族の者も忠一の生命の危険を感じ、意識回復同人の予後に極度の不安を懐いた位であつたこと、忠一自身もこれに脅えて結局第二病院を退院するに至つたこと(反証排斥)、<証拠>により窺われる忠一の事故当時の一家の生活程度や家族団欒の状況と、同人臥床と肉体的苦痛とに悩んだのみならず、その家族の運命への影響に苦慮し絶望したことが推測される事実、他方、交通事故発生については忠一の視力の障害も一因をなしたと推測される事実、診療事故はまた一般の不法行為と異なり、加害者側に宥恕すべき事情あると同時に被害者としても多少の不本意な結果はこれを受忍するのが当然であり、殊に本件においては先に判示したように、医師の決定的な過失が認定されたわけでなく、反証不十分のため推認せられたに止まる事実、これらを総合考察すると、忠一が生前に行使しべかりし慰藉料額は金六〇万円を以て相当と認められるのである。

七被告会社との示談について

ところで、被告会社は、忠一の生前、忠一の代理人である原告ミヨとの間に示談すなわち私法上の和解が成立したと主張し、この点は争いがない。問題は、その内容であるが、<証拠>によれば、昭和三九年一月七日(これが死亡の二カ月前、交通事故後一年二カ月の臥床の後であることは、当事者間に争いない日時から明らかである。)、成立した契約によつて、忠一は「治療費および休業補償費の合算額」として金一〇万円の支払いを受ける代償として、被告会社への求償権一切を放棄しており、ここに「求債権」というのは、文脈上「損害賠償請求権」のことであると考えられる。原告らが本件において、被告らに請求しうるのは、先に説明した趣旨での忠一の傷害に基づく慰藉料なのであるが、これは、既に判示したように、忠一の傷害によつて遺族らに固有の権利として生じた慰藉料請求権でなく、忠一自身に生じた慰藉料請求権が本人によつて行使されぬうちに本人が死亡してしまつたことによつて、遺族らが主張しうるに止まるのであるから、忠一が生前被告会社に対して一切の「求償権」すなわち慰藉料請求権を含めて一切の損害賠償請求権の放棄すなわち賠償債務免除の意思を表示していたと認むべき以上、被告会社に対する慰藉料請求権は、遂にこれを認容する余地なきものといわざるを得ない。もつとも右示談契約自体が無効であれば別論であり、示談金額一〇万円は一見僅少で、公序良俗違反の疑いを懐かせるものなしとしないが、戸田証人の供述によれば、被告会社を代理して示談に当つた一人である戸田清司がミヨの勧誘する一〇〇万円の生命保険に加入するなどという事実があつたためでもあること(横山証人の供述中これに反する部分は採用しない。)、また前示忠一の視力と交通事故発生への寄与等を考え合せると、右金額を以て契約の無効を来すほど不相当に低い金額ということはできないのである。

八被告国の支払うべき額について

被告国の賠償債務は、被告会社のそれと不真正連帯の関係にあるので、その限度で後者に生じた事由によつて影響を受けるべき筋合であるが、被告会社が忠一の代理人ミヨに支払つた金一〇万円は「治療費および休業補償費の合算額」と明記されている以上、慰藉料と見るべきものではないし、慰藉料債務の被告会社に対する免除は、不真正連帯債務相互間においてはいわゆる相対的効力を有するに止まると解され(かりに絶対的効力を有するとしても、その適用および負担部分の割合についての主張立証なく、斟酌するに由ない。)、結局被告国の賠償債務に影響するところはない。従つて、忠一の行使しうべかりし賠償額を原告ら三名に対して賠償せしめることとし、争いない忠一と原告らとの親族関係に照らして相続の法理を参酌し(もとより厳密な意味での相続を認定する必要のないことは、先に判示したところから明らかである。)、原告ら各自に対して金二〇万円宛賠償せしめることとする。

九むすび

よつて、原告らの請求中、被告会社に対する分はすべて棄却し、被告国に対する分は、右の範囲で認容し、その余は棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行宣言およびその免脱宣言については同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。(倉田卓次 浜崎恭生(転任につき、署名押印できない。)浅田潤一)

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